赤塚さんちの菊千代ちゃん

2008/08/08

天才漫画家、赤塚不二夫氏が亡くなった。

小学校のとき、PTAで、いの一番に槍玉にあがるマンガで、父兄や先生方は、目くじらたてて「読んだら毒!」と言っていた。

子供はそういうのを読んで鍛えられていくのよ。

イヤミのまねして、『おそ松くんごっこ』していたクラスの男の子たち、りっぱな紳士に成長し、おとうさんにもなり、社会で活躍しています。

 

赤塚さんちには、"労働"して税金まで払えるにゃんこがいた。

菊千代ちゃん。

オスかメスかはさだかでないが、デブねこで、テレビのコマーシャルに登場していた。

当時、平塚の我が家につけたねこドアから、複数のおよそのにゃんこが、うちのにゃんこに連れられて出入りしていた。

きっと「うちのおとうさんもおかあさんもやさしいから、大丈夫だよ。ごはんもたくさんあるからおいで~」ってなこと、言っていたのだろう。

その中に「おじゃまします、おじゃまします」とねこドアのから入ってくるのだが、私たちと目があうと、「失礼しました」とすぐ出て行ってしまうデブねこがいた。

図体の割には奥ゆかしいというか、臆病と言うか・・・そのうち「失礼しました」と出て行かなくなった。

その時点で、およそのにゃんこから、うちのにゃんこ。

名前は、コマーシャルのなかでひっくりかえる芸をしていた菊千代ちゃんにそっくりなので、菊ちゃん、とつけた。

 

菊ちゃんはやっぱり、ものすごく臆病だった。

平塚から宮崎に引越しするので、飛行機に乗せたとき、それはそれは大暴れをした。

狭いゲージに閉じ込められるのが怖かったのだろう。麻酔をえさにまぜたが、彼だけはぜんぜん効かなかった。

8時間かかって宮崎の家に到着。

ゲージを開けたとたん逃走。

 

それから二度と、私たちは菊ちゃんと会うことはなかった。

しかし一緒に連れてきた6匹は、菊ちゃんがどこにいるか、知っていた。

いつも心配して見にいっていた。

冷たい骸(むくろ)になっても、彼らは会いに行っていた。

 

ずいぶん後になって、私たちは菊ちゃんが横たわっている場所を知った。

今もそのままにしている。

きっとあちらの世でも、7匹、転げまわるように遊んでいるだろう・・・。