カントリー・レディー
2009/03/16
細かい図面を読んだり描いたり、人にあーしてこーしてという街中の仕事場と、パソコンなどのデバイスをいっさい置いていない、ど田舎の生活が、ちょうどいい精神のバランスをとっていると日頃から思っていたら、今読んでいる本の作者も同じような生活をいとなんでおられた。
『プリンシプルのない日本』の白洲次郎氏と『白洲正子自伝』の正子夫人。
おふたりと比較しようなどという気はさらさらないが、”戦場であった”永田町界隈と東京都下の鶴川村の生活が、精神のバランスをとっていたことは、想像に難くない。
次郎氏は、第二次大戦の始まった1942年、ゆくゆくは食糧不足をきたすとみて、鶴川村でカントリー・ジェントルマンになる。手塩にかけた作物を食べてもらったり、さしあげたりする喜びは、社会的なポジションの達成感とはまた違った、裏のない幸せを感じたであろう。
昨日の、よく晴れた日曜日、私はカントリー・レディーの一日。
育ちすぎた白菜やらを全て引き抜き、鍬で耕し、レタスやキャベツ、ピーマンやトマト、それにほうれん草などを植えた。
作物が大きくなるのを、鵜の目鷹の目で見ている、たぬきやうさぎや鳥や虫のごはんになりませんように・・・。