父の叙勲

2021/12/21
田村の父が亡くなったのは平成2年。職歴の最後は坂本小学校の校長だった。
父が亡くなった時、父の友人が「校長先生やった人は叙勲してもらえるげな」と夫と夫の兄に教えたが、兄はしり込みして、怖いもの知らずの夫は市役所に行って「ください」と言った。
市役所の人は「ふつう周りの推薦人がするもんで、身内が言うもんじゃない」と嫌味をさんざん言ったが、
叙勲は母の功績、母の人生を彩るものと夫は粘って、結局手続きができ、時の総理大臣海部俊樹氏のお名前で頂戴した。

正六位、勲5等

正装して受け取りに来なさいと言われて、兄嫁と姉が山形屋で洋服を新調して行った、という。
勲章と勲五等の賞状が入っている大きな額と、正六位とある小さな額と二つ。
両方とも、菊の御紋が入っている。田村家の仏壇の上部に長年鎮座していた。

それから30年、父の後妻である母が亡くなり、母の位牌は我が家に置いた。
我が家は、リタイアしたら母の実家の敷地内に住みたい、と父が建てたものである。
父と母の遺骨は、父は田村家、母は自分の養父母と一緒のところ、と別々だが、
父の遺影写真は、田村の家から持ってきて、母と一緒にした。
ついでに、お国から頂戴した二つの額も持ってきた。
そして、私がちょきちょきして、全部合体させた。

田村の跡継ぎはもういない。
この額が先々どうなるかは、わからない。
でもとりあえず、二人で住みたかった家で、仲良く末永く、私たちを見守ってください。