「枯れるように死にたい 老衰死ができないわけ」田中奈保美著を読む

2010/09/29
5月に看取った隣家のおじは、認知症で判定は5だったが、寝たきりになっても3食完食。
ペースト状の得体のしれないものをスプーンでとって、ちょっとくちびるに触ると、ぱかっと、まるでつばめの子のように口をあける。
「生きるというのは、食べるということ」の、お手本のような食べっぷりだった。
4月10日に容体が急変し、3度目の入院。もう口から食べることはできなくなっていた。
担当の女医さんは「鼻から管を通してだけだと、栄養が不足するので、胃ろうを作りましょう」とおっしゃる。
「お腹に穴をあけて、栄養が取れるようにします。うまくいったら6月には施設にもどれますよ」
数年前、くも膜下で手術した姉は胃ろうをしていたので、想像はできた。
この女医さん、私たちの質問にいつもきちんと答えてくださっていたし、対応が丁寧だったので、信頼していた。施設に帰れるならまっいいか、そんなぐらいだった。
1ヶ月後、おじは胃ろうに頼るまえに、息を引き取った。
おじの弟は、それより1か月ほど前に亡くなった。死因はガン。でも頭はしっかりしていた。自分で自宅に帰ることを希望し、最後の1週間は、痛み止め以外の注射は拒絶。
自分で望んだ形の”死”だった。
おじの葬儀が終わっても、”胃ろう”のことは、頭の片隅にひっかかっていた。
自分も含め親しい者たちが”いざ”ということになったら、どうすべきなのか?
そんなとき、この本と出合った。
『枯れるように死にたい 老衰死ができないわけ』

読後、本人の望む“自然な死”を考えてあげることこそ、一番大切な判断基準。そう確信した。
おじは、あれでよかった・・・。
コメントをくださった風雅さんに教えていただいた「志村建世氏のブログ」にも書評がありますので、紹介を。