ひな祭りの思い出
2008/03/03
実家に置きっぱなしの"正式のひな壇"にかざるお人形さんの顔は、神経質で、どことなく怖く、好きではない。
小学校1年生の3月3日、そのお雛様を飾り、母の作ったばら寿司で、家族が食卓を囲んでいた。
少し前から風邪気味の祖父は、あまり体調がよくないのに、夕食後、お風呂に入った。
祖父の咳き込む声を夢うつつで聞きながら、私と弟は眠りの海へ・・・。
翌日、目がさめたときは、祖父は亡くなっていた。
気がついたら、緋毛氈が敷かれていたひな壇は、白黒の幕で覆われた葬儀の祭壇に、ピンクの桃の花が白い菊の花に変わっていた。
それから何年も、そのお雛様は出してもらえなかった。
飾らないとお嫁にいけなくなるんだって、といっても、縁起が悪いから、と言って、しまったっきり。
出さなくて、虫食って、なお怖い顔になったらどうするのよ、と言っても、いいのいいのと母は出そうとはしなかった。
夫と付き合いだして、雛人形は毎年、卵で作っていた。
卵に絵を書いて、千代紙でおべべを着せて。
私が作るのを忘れていると、彼は今年は作らないのか、とせがんだ。
何年か前、姑あらんだまばーちゃんが、得意の木目込み人形で一対の雛人形を作ってくれた。
それがこの写真。
お雛様の腰あたりに使っている生地は、今はたいそう貴重品になっているそうだ。
1年にこの1ヶ月だけ、床の間に登場する、お雛様。
私は、これが一番すきだな・・・。