グループホーム

2009/03/04

ようやく介護の認定がおりた隣家のおば。結果は・・・『要介護

思ったより、痴呆が進んでいると評価をいただいた。ありがたいやら、なんやら・・・

で、次の段階は、施設をどこにするか、である。

選んだのは、「グループホーム」

痴呆は進んでいるが、普段の生活は、介助があれば、なんとかやっていける人たちを、家族のような形で、見守っていく施設。お料理をしたり、お洗濯ものをたたんだり、近くの保育園や小学校のお子さんたちと遊んだり・・・お世話好きで、すぐお友だちができて、お料理上手なおばにぴったりだと思ったからだ。

たまたま昨夜のNHKの番組『プロフェッショナル』を見たら、認知症介護のプロフェッショナルとして、グループホームの代表をされている大谷るみ子さんがお話をしていた。

認知症になっても人はおだやかに暮らせる。お年寄りの皆さんは、歩んできた人生をリュックサックにつめこんで、グループホームにこられる。その荷物を少しずつ取り出してあげる。ひとりひとりの心と向き合うのが大切。介助が仕事ではない。心をかけることが大事な仕事。認知症になると、とても不安なもの。行動障害は、その不安を必死で何とかしようとしている表れ。認知症がすすんだ人でも、向き合えば手ごたえはある。

それを聞きながら、私は30年前のことを思い出していた。

祖母は痴呆が顕著になり、家で見ていた母は疲れ果て、施設に入れないとどうにもならなくなっていた。ようやく見つけた病院は、都心の家から3時間以上かかる八王子。費用は月20万円。サラリーマンの父は「お金がいつまで持つかわからないが、しかたがない」と祖母を送り出した。

しばらくして、病院に見舞いにいった。

家では歩いたり、しゃべったりしていたのに、そこには、ベッドにつながれ横たわり、ことばも忘れ、うつろな目を天井にむけている祖母がいた。

それから2ヶ月後、祖母は家族に看取られることも無く、息をひきとった。

あの時もっと祖母の心とむきあっていれば、あの時グループホームがあれば、あの時介護保険があれば・・・

今認知症が進んだ隣家のおじおばのことで奔走している私は、彼らの残された日々を、人としての尊厳を保ち、少しでも心地よく過ごせるようにするにはどうしたらいいか、を常に判断の基準にしている。

祖母がそうしてあげなさいと言っている気がして・・・