ピアノのおけいこ

2007/03/19
ピアノ 4歳の私の手をひっぱり、母は巣鴨地蔵通り商店街の近くのバレー教室に連れて行った。将来のバレリーナ誕生を母は密かに期待していたが、娘の体が硬いことがわかり、あえなく挫折。めげずにピアノ教室に鞍替えした。
ピアノの先生のお宅は当時珍しい瀟洒な洋館で、純日本家屋の我が家とは、調度品から雰囲気から照明まで全然違っていた。きりっとした眉の先生は子供心にもあこがれた。ピアノは祖父母が買ってくれた。レッスンは母がつきそい、私が弾いている後ろでメモをとりながら、真剣に先生の話を聞いている。帰ると、びっちりつきっきりで毎日娘に教える。ピアノの練習はきらいじゃないのに、母の口出しがうっとうしくてたまらなかった。
「そんなに言うなら、自分で弾いてみせてよ」ある日とうとう言った。マニキュアつけた長い爪の指では、どうやっても弾けないこと知っていて言った。「勝手にしなさいっ!もう知らないからっ!」やったあ・・・
傍に着ききりの呪縛からは開放されたが、専業主婦の耳はいつも聞いている。音がよどみなく流れていると母は安心した。運指の練習は毎日するので、いつの間にか教本1冊覚えてしまう。読みたい本がピアノの練習で読めなくなるのがいやで、譜面台に本を置いて、読みながら弾くことを覚えた。指は勝手に動く。音は途絶えることなく聞こえる。本はどんどん読める・・・。が、やっぱり見つかった。「まじめにやりなさいっ!」・・・ちゃんと弾いているのに・・・ナルニア国物語を取り上げられた。
『芸は身を助く』とはよくいったもので、音大こそ行かなかったが、結婚してから”てなぐさみ程度”とピアノ教室を開いたら、どんどん口コミで生徒が増え、グループレッスンも加えたら、生徒がいつのまにか100人を超えてしまった。すると、あんなに楽しかったピアノが、私自身が磨り減っていって、全然楽しくなくなってしまったのだ。疲れてクラシック音楽も聴けなくなっていた。・・・夫が起業するのを契機に、廃業した。
宮崎に引っ越すとき、祖父母に買ってもらったピアノも手放した。「そのうちグランドピアノ、買ってやる」夫の言葉は本当とも思えなかったが、まあそうなったらいいかなぐらいなものだった。
宮崎に移って5年ぐらいして、ひょんなことから、ご近所の人から子供ふたりにピアノを教えてほしいと言われた。ピアノも持っていない。すでにやめてから10年ぐらいの歳月が流れていた。指も動かないし、教え方も忘れている。第一、本業があって時間がとれない。・・・しかし、断りきれず、引き受けた。
中古のアップライトピアノを買い、おそるおそる教え始めたら・・・できるのだ。何十年も体で覚えたことは忘れていなかった。パソコン毎日たたいているので、指も思った以上に動いた。溢れるように教えなくてはいけないことが出てくる。楽しい時間ができた。二人がくる土曜日の早朝はわくわく。
今年に入って、なんとなく子供たちの進度がにぶってきた。なぜだろう・・・。彼女たちは電気ピアノで練習をしているため、表現うんぬんになってくると、練習しきれなくなるのだ。・・・で決めた。このアップライトをあの子達にあげよう。どうせ彼女たちの月謝で”もと”とったし。そして、私はグランドピアノを買おう。きっと私の人生最後の大きな買い物になるだろうけど、数年後、しゃかりきになって、子供たちとショパンやリストを練習しているって、ステキじゃない!そして、私にピアノを教えてくださった先生方のような、ステキなおばあちゃんになるんだ!