伊東マンショゆかりの地を巡るツアーに参加する

2012/06/25

マンショ13歳の像.jpgマンショ.jpgマンショの墓か?.jpg明治6年、岩倉具視を全権大使とする欧米使節団が南欧諸国に行った時、自分たちがここを訪れた最初の日本人だと思っていた。
ところが、それより300年近くも前、すでに日本人が来ていることがわかり、仰天したという。
調べてみたら、安土桃山時代に、大友、有馬、大村のキリシタン大名の名代である4人の少年が、遣欧使節となって、はるばる海を超えてやってきていた。
・・・というところまでは、本に書いてあったし、学校で勉強した(と思う)。
なにしろ、その渡欧の事実が、まったく日本では知れらていなかった、というのは、出立したあと、秀吉からキリシタン禁止令が出て、弾圧の歴史が始まったから。
4人の少年の首席が、13歳!の伊東マンショ。
わが郷土の偉人は、今年没後400年(生年は不明)。この1年通じて、地区をあげて、いろいろイベントがあるらしい。そのひとつとして、ゆかりの地を巡るツアーが企画され、応募し、幸いにも夫と二人とも当選!昨日大雨のなか、参加してきた。
母である町の上は、長男の船旅の無事を願って、まだみずらを結っている子の木像を掘り、隠し、400年以上の年月を経て、宮崎市の円南寺に現存している。
彼の銅像や絵画は、いくつかあるが、この本の表紙になっているのは、ヨーロッパで書かれたらしく、一番似ていると言えるかもしれない。
教科書は、「ヨーロッパに行きました」までしか、書いていない。
彼は、当然ながら聖職者になる道を選び、無事帰国し、布教には困難な時代を43歳まで生き抜いたという。
音曲に優れ、外国語が堪能で、み目麗しい少年は、私の中で、愛をとく神父となった。
お墓は、さすがに、時代が許さなかったのであろう。明らかにはなっていないが、ここではないか、というのが、日南飫肥の伊東家の墓をまつる報恩寺跡にある。
まるで、歴代の当主や奥方がかばうかのように、ひっそりと存在していた・・・